カヽル試練ナクシテハ・・・・・・
高橋哲哉
一八九一年一月九日、東京本郷の第一高等中学校で事件が起きた。教育勅語奉読式で、嘱託教員の内村鑑三が、明治天皇の宸署に深々と礼拝することにキリスト者として一瞬「良心の咎め」を覚え、「躊躇」して軽い御辞儀にとどめたところ、これが国家の元首に対する「不敬」に当たるとして、各方面から猛烈な非難を浴び、辞職を余儀なくさせられたのだ。
わずか三ヶ月の間に「社会的破門」に追い込まれ、激烈な肺炎に罹患し、愛する妻を失った内村は、越後の高田に転地して心身を休め、そこで米国の友人エルフレッド・ストラザースに宛てて手紙を書く。その一節ー
「僕ハ僕ノ場合ガ人ノ子等ノウチニテ最悪ノモノナリトハ信ゼズ、然ハ、友ヨ、君ハ破レシ家庭、衰ヘシ健康、甚ダシキ誤解、カクマデ愛スル国民ニ依ル迫害、ソレガ一度ニ頭ノ上ニ襲ヒ掛リシ状ニツキ、或ル観念ヲ抱キ得ルナリ、而モ僕ハ理解セザルベカラズ、政治的自由(Lberty)ト信教ノ自由(freedom of conscience)トハ如何ナル国ニ於テモソノ献身セル子等ノ間ニ何カカヽル試練ナクシテハ購ハレザリシコトヲ、・・・・・」(一八九一年七月九日書簡)。
百年以上もの時がなれた今日、何がどれだけ変わったのか。学校行事での君が代・日の丸の強制は、現代の勅語礼拝とも言える。近年、広島県、久留米市、町田市等の教育委員会が君が代斉唱時の子供たちの声量を問題にしたのは、頭の下げ具合を問題にした内村のケースと本質的に変わらない。
内村は、事件の前々年に施行された帝国憲法に条件付きで保障された信教の自由が、天皇制国家から臣民「下賜」されたものであることの弱点を直感していた。日本国憲法は、思想・良心の自由と信教の自由を無条件で保障しているが、考えてみれば、これらも、この国の人々(ピープル)が心のそこから欲しいと望み、それらを認めない帝国の体制をみずから否定して獲得したものではない。敗戦の結果、「もたらされた」ものである。
この国では今も、憲法の民主的諸価値の文字の下に、天皇制の諸装置が「地金」のように存在している。民主的諸価値を本当にこの国に根づかせるためには、そのために「献身せる子等の間に何かかかる試練」が必要なのではないか。強制に抗してピアノ伴奏拒否や不起立を選択し、処分されても闘いつづける教職員は、まさに「かかる試練」を今、現在、生きている人々ではないか。
内村鑑三は教育勅語礼拝を批判したが、教育勅語の内容自体は受け容れていた。日清戦争時は、後に撤回したものの、日本の「自由政治」「自由宗教」の名の下に「義戦論」を展開した。日本の植民地となった朝鮮に「同情」を、朝鮮のキリスト者に大きな「期待」を抱いていたが、植民地統治そのものを否定することはできなかった。百年後の私たちは、内村が直感した「与えられた自由」の弱さを自覚しつつ、内村の弱点を超え、内村の先に行かなければならない。