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06/9/12   English  Korean
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前夜ブックガイド
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 第3回 「戦後」再考

 日本敗戦直後という時代状況をとらえなおし、「戦後」の出発点を再考することを目的として選書をおこなった。その際重視したのは、たとえばジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店)が描きだしたような「戦後」物語からは、切り落とされてしまっている人々の闘いのありようである。
 「敗北を抱きしめ」るわけにはいかなかった人々は、第二次世界大戦が終結してからわずか五年の後に朝鮮戦争が起こるという、決して単純に「戦後」と呼ぶことができない時代をどのように行きたのか。今回の七冊もジャンルとしては多岐にわたるが、そのいずれもが戦争という巨大な問題と何とかして向き合おうとした闘いをあとづけることができるものだ。
 
新たな戦争と直面しているいま、天皇制や軍国主義との対峙のあり方ををあらためて考えたい。ただ選書の過程で、植民地支配の問題性を真摯に問う書が少ないと気づかされたことも記しておきたい。「反植民地主義」という問題設定の重要性を、いまあらためて意識している。(高和政)

砕かれた神――ある復員兵の手記 渡辺清 著 評論社(1977)/岩波現代文庫(2004)
闇を喰む Ⅰ 海の墓・Ⅱ 焦土 高史明 著 角川文庫(2004)
わたしの「女工哀史」 高井としを 著 草土文化(1980)/ほるぷ出版(1983)
夏の花・心願の国 原民喜 著 新潮文庫(1949/2000)
濱口國雄詩集 現代詩文庫8 濱口國雄 著 武井昭夫、中村慎吉 編・解説 土曜美術社(1974/1983)
新生――1946―1956大西巨人文選1 大西巨人 著 みすず書房(1996)
朝鮮戦争の起源 第1,2巻 ブルース・カミングス 著 鄭敬謨、林哲、加地永都子 共訳 シアレヒム社発行 影書房発売(1989-91)


砕かれた神――ある復員兵の手記
渡辺清 著
評論社 一九七七年/岩波現代文庫 二〇〇四年

 太平洋戦争末期、「天皇のために」志願して海軍少年兵となった渡辺清。戦艦武蔵の沈没から奇跡的に生還し、敗戦を知って故郷の農村に復員した一年余りを日記風に綴った本書は、一人の戦中派世代が掴み取った「戦後」の原点を克明に映し出す貴重な証言である。
 信じていた価値体系が崩壊し、荒んだ心を持て余していた渡辺を打ちのめしたのが、マッカーサーと居並ぶ天皇の写真だった。「おれは天皇に騙されていたのだ」。
 戦友をはじめ膨大な人々を死に追いやった責任を取ることなく、占領軍と癒着して体制の温存を図った天皇および支配体制への憤怒は、やがて戦争へ身を投じた自身の責任追及へと深められてゆく。
 渡辺は、戦争の意味を信じて生きた自己に真正面から向き合うことをとおして、すべてを曖昧に水に流し乗り換えてゆく日本社会の「戦後」を拒絶し、別の戦後――責任と平和の思想を掴み出そうとした。
 本書には、一農村の人々が戦争と敗戦を経て亀裂を深める光景も描き出される。彼自身「敗残兵」と嘲笑される憤りから、戦争遺族や疎開者など、戦後の共同体から疎まれる人々への共感を育む過程も印象深い。
 「忘れてはならないことはいつまでも忘れないこと、そしてそれに執念ぶかく固執していくこと」。死者とともにあることで忘却に抗し、天皇制に抗し続けた渡辺の思想は、「戦死者のお陰で今日の繁栄がある」といった現状肯定の論理の対極に屹立している。(須永陽子) 


闇を喰む Ⅰ 海の墓・Ⅱ 焦土
高史明 著
角川文庫 二〇〇四年

 在日朝鮮人作家・高史明の自伝的小説。『生きることの意味 青春編』三部作(ちくま文庫)に大幅に加筆がなされ、昨年新たに刊行された(九二項参照)。
 一九三二年に日本で生まれた金天三(高史明の本名)は、皇民化教育の中で「”奇妙”な」朝鮮人として成長していく。日本敗戦を迎えても、「解放」の意味を理解できなかった彼は、暴力行為を繰り返す「小悪党」となっていた。「闇」のなかに生きざるをえなかった彼はしかし、その「闇」をみずから食い破ろうとする。少年刑務所出所後、その身に刻まれた入れ墨を焼き、文字通り過去の自分を焼き尽くして新たな「生」を切りひらこうとするのである。
 一九四九年に上京し「ニコヨン」生活に入った彼は、偶然飛び込んだ朝鮮人弾圧への抵抗運動から共産党へ入党する。朝鮮戦争のさなかにあって、日本社会もまさに「戦時」であるという切迫感にみちた認識から、当時の日本共産党の「軍事方針」を自分のものとしていくその姿は特に注目に値する。ここでは、現在語られることがきわめて少ない〈戦後〉のもう一つの像が、くっきりと浮かび上がっているのである。
 一九五五年、朝鮮人党員の日本共産党離党が決定し、日本人女性「Y・O」と新たな出発を誓うまでが描かれ、本書は閉じられている。いま〈戦後〉を再考しようとするならば、ここに描かれた〈戦後〉を凝視する必要がある。(高和政)


わたしの「女工哀史」
高井としを 著
草土文化 一九八〇年/ほるぷ出版 一九八三年

 細井和喜蔵の『女工哀史』は、連れ合いであった高井としをの支えなしには生まれなかった。この書は、そのとしをが自ら綴った一代記である。
 としをは一九〇二年、炭焼きの子として生まれ、「女工で十年、女給で一年半、ヤミ屋で五年、ニコヨン二〇年、なかの二〇年は主婦」という働きずくめの生涯を送る。それは、労働者の生活を守りぬく闘いの生涯でもあった。「私は働くの大好きです。だけど昔から差別されるの大きらいです」と明快に語るとしをは、「女工時代」から組織の矛盾を鋭く見ぬき、労働運動に入っていく。敗戦後は失業対策事業において、運動を率いていった。
  としをは労働組合を組織し、労働者が当然保障されるべき権利を次々と要求していく。また、運動の「中身」を「仲間たち」と作るため、「労働学校」を始める。「アカ」と怖れられたとしをの運動が、やがて理解を得ていくのは、〈戦後〉から切り捨てられ、貧窮と苦難を強いられ続ける「仲間たち」への、〈共感〉に突き動かされたものだったからに他ならない。
 この一代記は、「思い出の仲間たち」の紹介で閉じられている。生きるための最低限の保障さえ得られないまま、ひっそりとこの世を去った「仲間たち」を〈記憶〉すること。としをの闘いを押しすすめた「団結」が、「人間同士のあたたかい心」によるものであったことに、胸を打たれる。(小野祥子))


夏の花・心願の国
原民喜 著
新潮文庫 一九四九年 二〇〇〇年

 「水を下サイ/アア 水ヲ下サイ/ノマシテ下サイ/死ンダホウガ マシデ/死ンダホウガ/アア/タスケテ タスケテ/水ヲ/水ヲ/ドウカ/ドナタカ/オーオーオーオー/オーオーオーオー」(「永遠のみどり」)。
 「声ノカギリヲ/チカラノアリッタケヲ/オ母サン オカアサン/断末魔ノカミツク声」(「鎮魂歌」)。
 前年に妻を亡くした失意のなか、故郷である広島に帰っていた作家・原民喜は、一九四五年八月六日、被爆した。一瞬にして街は瓦礫と化し、助けと水を求める被爆者と夥しい死者の酷い姿。被爆直後はそれほどの怪我もなかった人たちが、急激に弱って死んでいく。「夏の花」として、彼はこれらの体験をその年のうちに書き上げた。この小さな文庫本を読むたび、そのおそろしさに戦慄を覚えるとともに、この体験をどのように受けとることができるのか、胸の苦しさを感じずにはいられない。
 「僕は堪えよ、堪えてゆくことばかりに堪えよ。僕を引き裂くすべてのものに、身の毛のよ立つものに、死の叫びに堪えよ。・・・・・・すべての還って来ない幻たちに」「自分のために生きるな。死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ」(「鎮魂歌」)。
 「原爆詩人」と呼ばれた原民喜の「戦後」は短かった。戦争の絶滅を願った原は、朝鮮戦争勃発の報を聞いた翌五一年、四十六歳で鉄道自殺を遂げた。(宗司光治)


濱口國雄詩集 現代詩文庫8
濱口國雄 著 武井昭夫、中村慎吉 編・解説
土曜美術社 一九七四年/一九八三年

 「パパ糞に おそるおそる箒をあてます/ボトンボトン 便壺に落ちます/ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します/心臓 爪の先までくさくします/落とすたびに糞がはね上がって弱ります」。
 詩人、濱口國雄の「便所掃除」の一節だ。「社会悪をふきとる思い」で、便器を「ゴリゴリ美しくする」労働の孤独感が、ひしひしと伝える。戦後、詩を書き始めた濱口の、労働への深い洞察は、侵略戦争体験の真摯な捉え返しがあるからこそ生み出されたものだ。「人を殺すという 僕の意識は「・・・・・・」ふるえに ふるえ 捕虜の眼光をさけ 銃剣をかまえた。午後の太陽が 油ぎった 僕の剣で 黄いろく燃え 僕の眼玉を ギンラ ギンラ 刺した」(「捕虜」)。
 「捕虜」を殺さねばならない窮境の、生々しい切迫感が再現され、朝鮮戦争を支え、逆コースを辿る同時代日本に突きつけた濱口の強い危機感を示しているだろう。それは、「良心を守るため」、工場の「戦争協力」に抗議する女工の内面に寄り添った「小さな闘い」のように、声を奪われ、排除される他者の心情に共苦する詩作において、より高められていく。濱口が、際立った固有性のもとに描き出した労働する身体、生々しい戦争体験、周縁化された他者の声の共振は、「アメリカ帝国主義にささえられた日本反動」に抗い、詩をとおして真の戦後を獲得しようとした闘争であった。(浅野麗)


新生――1946―1956大西巨人文選1
大西巨人 著
みすず書房 一九九六年

 昨年長編小説『深淵』を発表し、八十歳を超えた現在も旺盛に創作を続ける大西巨人の初期評論集。軍隊から戻った後、九州でみずから編集にあたった雑誌『文化展望』で執筆活動を開始した一九四六年から、『新日本文学』を中心に活躍する一九五六年までの、十年間にわたる評論が収められている。
 大西は戦時期の苦衷を語る当時の言語の多くが実は戦時期の経験と正対することを避けた上でしか成り立たない、安易な「過去への反逆」にすぎないことを、厳密なことばによって批判しきる。日本敗戦直後という時代状況における筆者の主張が、そのまますぐれた〈戦後〉批判となっていることに、あらためて驚かされる。
 抵抗のあり方を正確に見定めようとする大西の姿勢は、よく知られている評論「俗情との結託」(一九五二年)における、野間宏『真空地帯』批判へとまっすぐにつながっている。たとえ反戦・反軍国主義的な意図で書かれたものでも、状況を後退させる「俗情」に荷担するのであれば、それは正しく拒絶されるべきなのである。
 他にも宮本顕治や竹内好らへの厳しい批判や、論争の文章が収めあられており、「隙間のない事実とによって相手に反論の余地を残さぬ批評を書くこと」の実践を見ることができる。読むたびに、〈このようにありたい〉と強く感じさせる書である。(高和政)


朝鮮戦争の起源 第1,2巻
ブルース・カミングス 著 鄭敬謨、林哲、加地永都子 共訳
シアレヒム社発行 影書房発売 一九八九年~九一年

 もし朝鮮戦争に関する戦史的記述を期待して本書を手に取ったならば、大いに失望するに違いない。本書はむしろ、そうした朝鮮戦争観そのものの転換を迫る著作である。
 従来朝鮮戦争研究が、「戦争開始の責任がどちら側にあるかを論じることに終始していた」のに対し、著者は一九四五年から五〇年の間の朝鮮民族の動きと米軍政の関係の中に戦争の起源を求める。他の朝鮮戦争研究が政策当局者のみを分析の対象としたのとはことなり、民衆の下からの動きに本書が着目している点からも、著者の視点の位置を推し量ることができる。
 アメリカ人が「租界もどきの居留地」で、さながら「植民地総督のような暮らし方」をすることができるのはなぜなのか。六七年に韓国を訪れた際の疑問が、著者を「朝鮮とアメリカの関係のそもそもの起源」の探求へと向かわせた。
 しかし、本書で示された視野はただ朝米関係にとどまらない。著者が戦争の起源の第二に、「植民地時代以来の、日帝残滓勢力のあり方」を挙げていることを忘れてはならないだろう。本書が植民地朝鮮の分析に多くの紙数を割いていることからも、著者が朝鮮戦争を歴史的視野から捉え返そうとしていることがわかる。
 朝鮮現代史と無縁ではない日本の「戦後」を捉え返すためにも、本書は日本でこそ読まれるべきであろう。(鄭栄桓)