破局前夜が新生前夜となる
戦争前夜が解放前夜となる
その希な望みを、私たちは棄てない。

特定非営利活動法人 前夜
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06/9/12   English  Korean
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前夜ブックガイド
前夜ブックガイドでは、『前夜』書評チームが共同で選書を行ない、いま読むべき本を提示します。

このページでは、季刊『前夜』本誌に毎号掲載されているブックガイドのコーナーを紹介しています。(ホームページに未掲載分および映像ガイドは本誌をお読み下さい。)また、当サイトに掲載された文章の無断引用はお断りします。

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 第2回 反植民地主義

 本欄では、「前夜」書評チームが毎回テーマを定め、いま読むべき本を提示していく。書評チームは、学習会を持ち共同で選書する作業をしている。候補にあがった本を読みあい、討議を経て選書をおこなう過程そのものを重視している。
 今号は、特集である「反植民地主義」を考えるのならば、他ならぬ日本の植民地主義に対する抵抗こそ、重視しなければならない。日本の植民地主義による抑圧や暴力に直面し、闘いを挑んだ人間たちの足跡をたどることができる文献を中心に取り上げた。今回の7冊の中には、〈「反植民地主義」の古典〉とも言えるような非常によく知られているものとともに、これまで「反植民地主義」という枠組みでは決して扱われてこなかったであろう文献も含まれている。これらの文献を順列づけることなくあわせて読むことが、現状にあって植民地主義という問題を認識するためには、必要だと考えた。(高和政)

わんがうまりあ沖縄 富村順一獄中手記 富村順一 著 柘植書房(1962)
いのち燃えつきるとも 山村政明遺稿集 山村政明 著 大和書房(1971)
謝雪紅 野の花は枯れず 陳芳明 著 森幹夫 訳 社会評論社 (1998)
アリランの歌 ニム・ウェールズ/キム・サン 著  松平いを子 訳 みすず書房 (1965)
偉大なる道 朱徳の生涯とその時代 アグネス・スメドレー 著 阿部知二 訳 岩波書店 (1955)
個と共同性 アジアの社会主義 吉沢南 著 東京大学出版会 (1987)
民族の独立 現代人の思想17 堀田善衛 編 平凡社 (1968)


わんがうまりあ沖縄 富村順一獄中手記
富村順一 著
拓殖書房 一九六二年/新装版:拓殖書房 一九九三年

一九七〇年七月八日、東京タワー特別展望台。富村順一は「日本人よ、君たちは沖縄のことに口を出すな」などと書いたシャツ姿で、米国人宣教師を人質にとり、〈復帰〉直前の沖縄の現状を訴えた。”私の生まれは沖縄”という書名を持つ本書は、この事件で東京拘置所におかれた富村の半世紀、アピール文、書簡などを収める。富村は米軍居留の条件が整えられる〈復帰〉直前の沖縄への差別と帰属強要を怒り、天皇の戦争責任を追及するが、日本社会は事件の暴力性とそれを「異常」とみなして無力化しようとした。事件という形でした成し得なかった彼の闘争をも抑圧しようとした日本社会の暴力こそが、問われるべきであることは言うまでもない。
 拘置所内で習得した書き言葉で成る文章は、ラ行とダ行が混用され、論理的な飛躍もある。また、天皇の目前で「ミチ子」を暴行させようとする「ゆめ」が書かれるなど、調子や内容に〈過激〉さが感じられる。しかしそれこそが重要なのだ。沖縄に連行された朝鮮人「慰安婦」や、在日朝鮮人の苦しみが活写されているように、その〈過激〉さに繋がる〈沖縄人民〉としての怒りや〈おん念〉の強度は、「日米帝国主義」の暴力に押し潰されている人間すべての声を重ね繋げてゆく力として作用している。その声の塊としての言葉を「異常」として排除することで成り立つ日本社会の無惨さを、本書は曝露している。(浅野麗) 


いのち燃えつきるとも 山村政明遺稿集
山村政明 著
大和書房 一九七一年

 九歳の頃、一家で韓国籍から日本籍に「帰化」し、一九七〇年、二十五歳で焼身自殺した在日朝鮮人山村政明の〈手記〉〈書簡〉〈詩篇〉〈小説〉を収めた遺稿集。「過去を思う」という断片は、「ようやく 世の中というものがわかりかけたときから 私は 自分が かけはなれて 悲しい者に思えて来たのだ」と、日本籍在日朝鮮人の絶望的な悲哀を伝える。山村を追い詰めたのは、在日朝鮮人として抑圧された記憶を持つからこそ「皆殺しにして」やりたいと思う日本人の側、幼少の頃、一家揃っての「帰化」という、彼個人に抗えない形で組みこまれたことだった。しかし日本人に向けられた憎悪は、「祖国への裏切り」という罪悪感と重ね合わせられ、反転して日本籍を持つ自らを突き刺す。そして山村は、日本社会における「規格外の」「異端者」と自らを称するしかなくなってゆく。被抑圧の過去に目を瞑らせ、「帰化」という言葉で帰属させる日本国家の歪んだ力が、山村を追い込んでいくのだ。その自己否定の最たるものである焼身自殺は、「被植民地下の異民族の末えいとして、この国の最底辺で、うごめき続けた者の、現代日本に対するささやかな抗議」とされている。
 自己への暴力という形でしか「抗議」させなかった日本国家と社会。その凶暴さが不可視かされた所で、日本籍日本人が生きている。本書によってその無恥さに直面させられる。(浅野麗)


謝雪紅・野の花は枯れず
陳芳明 著 森幹夫 訳
社会評論社 一九九八年

 謝雪紅は、日本統治下のける台湾共産党の指導者であり、二・二八事件における武装抵抗運動の指導者であり、中国共産党の台湾政策に対する批判者であった。状況が困難になればなるほど謝雪紅の思想と闘争は先鋭化した。それは一貫して、台湾人民の開放――「台湾は台湾人の台湾」を追求するものだった。
 
しかし、日本の植民地支配者、国民党政権、中国共産党政権は、謝雪紅を「反逆者」に仕立てあげ、「汚れた女」として貶め、徹底的に迫害した。中国共産党が展開した反右派闘争において、「反革命分子」の烙印を押された謝雪紅は、最後の瞬間まで抵抗の意を 表明しながら、一九七〇年、その生涯を閉じた。死後もなお、迫害の手はやまず、為政者の記録は謝雪紅を「常軌を逸した反逆者」として〈歴史〉に残している。
 
著者・陳芳明は、「台湾人の立場に立て台湾人としての歴史解釈を確立しよう」としたとき、謝雪紅と出会ったという。謝雪紅に対する歪曲や矮小化は、台湾の歴史それ自体の問題でもあった。自筆の原稿は文革でそのほとんどが焼き払われ、断片的な文献資料しか残されていない中、口述資料を集めながら謝雪紅の実像を掘りおこす試みには、四年の歳月が費やされた。本書を受けとる者は、幾重にも取り巻く帝国主義、排外主義、男性主義の暴力性に、妥協することなく立ち向かい続けた謝雪紅の姿に、鞭打たれるだろう。(小野祥子)


アリランの歌
ニム・ウェールズ/キム・サン 著  松平いを子 訳
みすず書房 一九六五年/岩波文庫 一九八七年

 中国革命の最中、アメリカ人の女性ジャーナリスト、ニム・ウェールズは、革命の中心地延安を訪れた。そこで出会った朝鮮人キム・サン(本名・張志楽)への聞き取りをもとにこの本は作られた。彼は十代で植民地支配に呻吟する朝鮮を離れ、日本留学を経て中国へ赴き、中国革命の現場に身をおいた。若き共産主義者となった彼は、朝鮮独立の望みを胸にしつつも、「現住国党加入」の方針にしたがい、中国革命のために身を挺して闘った。仲間たちの死、自身も二度の投獄や拷問、幾度かの死の危機に直面した。ウェールズと出会ったとき、当時三十二歳の若さにもかかわらず、彼の経験は、ゆうに本一冊に相当する内容をもっていた。ヒューマニズム、アナーキズム、そしてマルクス・レーニン主義へという思想遍歴、革命の中で彼が自問する人生観や運動観、結婚観。朝鮮人でありながら中国革命に深くかかわった若者の闘いと生活は、錯綜する東アジアの歴史の貴重な記録であると同時に、私たちを励ましてくれる闘争と成長の物語である。日本人としては、彼らににこのような経験を強いた植民地支配に思いをいたさずにはいられない。
 
キム・サンは、ウェールズとの出会い後間もない一九三八年「トロツキー分子」「日本のスパイ」の疑いで処刑された。彼の激しくも温かい心に本文で触れた後に、解説で知らされるこの事実には衝撃を受ける(宋司光治)


偉大なる道 朱徳の生涯とその時代
アグネス・スメドレー 著 阿部知二 訳
岩波書店 一九五五年/岩波文庫 一九七七年

 本書は中国工農紅軍を率いて反帝国主義闘争を戦い抜いた朱徳という人物が稀有な指導者であったかをよく示す一冊だ。紅軍兵士はほとんど文字も読めぬ貧困層の出身だが、朱徳は彼らに人権とは、社会の矛盾とは何かを繰り返し説明する。このような教育は人々に批判する力をもたらすことになるが、それは封建的社会の中では与えられぬものだった。その意味で朱徳の闘いとは祖国回復の闘いであると同時に、奪われた人間性を取り戻す闘いであった。
 同時に本書は著者の闘いの結晶でもある。米国人ジャーナリストのスメドレーは時に自ら行軍しつつ朱徳に取材した。その言葉を形にしようとした時、アメリカ合衆国では反共政策のため言論の自由を侵害されたが、彼女は渡英して執筆を続け抵抗し、本書は完成した。
 本書を読む者は、中国人民が幾千幾万と死にゆく姿を見ることとなる。だが、次のように歌いながら闘いに身を投じてゆく紅軍兵士たちの姿からは、自由を勝ち取る闘いをあきらめないことの大切さを、学ぶことができる。「白軍は逃げ出し、武器を投げ出し、/村と森に火をつけて/人民を殺した。/わしらは、わしらの家の焼跡に/ソヴェトを建てなおし/人民の主権を、しゃんと押っ立てる。/紅軍は、百戦できたえられる!」
 北京郊外の国立墓地の彼女の碑には、朱徳の字で「中国人民之反美国革命作家、史沫特莱女士之墓」とある。(頓野綾子)


個と共同性 アジアの社会主義
吉沢南 著
東京大学出版会 一九八七年

 本書は、中国とベトナムの社会主義を、土地改革により土地を獲得した農民に徹底的に内在して分析した「アジアの社会主義」史である。
 
個々の農民が土地改革を通して「わたしのもの」としての土地を得る。そして合作社が介在し農業が集団化されていく過程でそれは「みんなのもの」となる。本書で吉沢が詳細かつ丹念に描き出しているのは、この両者の調和と相克、そしてそこから農民が「わたしたちのもの」という意識を獲得していく過程である。その道は平坦なものではないが、その過程で民衆は「共同性」そのものの意味を変化させていった。「個と共同性」というタイトルには、著者のそうした過程への思いが込められている。
 
思うに、脱植民地化とは単に宗主国から独立することではない。独立を勝ち取った民衆が、具体的な生活の中で一つずつ「解放」を掴み取っていくことこそが真の脱植民地化である。そうした意味で植民地主義との真の戦いは独立後に始まるといえるだろう。
 
本書が描きだしている民衆の姿は、そうした「解放」への歩みであり、その過程は「反植民地主義」そのものである。様々な葛藤や失敗があった。だが「社会主義は終わった」と嘲笑う前に、私たちは具体的に社会主義を生活として体験し、半世紀の経験の中でその人々が今も培い続けている「共同性」に目を向ける必要がある。(鄭栄桓)


民族の独立 現代人の思想17
堀田善衛 編
平凡社 一九六八年

本書は、ファノン「暴力」、ゲバラ「アルジェ演説」、マルコムX「投票か弾丸か」などを収録した「反植民地主義」文献のアンソロジーである。
 スペイン、イギリス、フランスと肩をならべる旧宗主国、日本で本書は編まれた。まず間違いなく本書は収録された論文のほとんどは日本人に向けて書かれてはおらず、むしろ積極的に拒否されている。
 しかし、それ故に本書に収録された論文は、その字句のままにもう一度読まれるべきだ。これらの言葉がどういった戦いの中で、そしていかなる敵と対峙する中で選び取られたのかに想像力が及ぶならば、安易な「脱政治的」読みや「再解釈」などできないはずだ。
 カストロは自らの法廷陳述を「歴史は私に無罪を宣告するであろう」という言葉で締めくくった。「この植民地主義、帝国主義による歴史過程は、アジアにおいても、アフリカにおいても、またラテン・アメリカにおいても、まだまだ終わってはいないのであり、たとえばヴェトナム戦争はその明白な実例にほかならない」と、解説「第三世界の栄光と挫折について」で堀田善衛が指摘している。日朝平壌宣言を「外交的勝利」としか受け取れない旧宗主国民の感受性は、間違いなく歴史に有罪を宣告されるであろう。そうした国でこの文献が読まれる際には、何よりも「いま」を撃つ言葉として読まれなければならない。(鄭栄桓)