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希(まれ)な望み 徐京植 「日本で民主主義が死ぬ日」(1999)、「断絶の世紀・証言の時代」(2000 )、「コンパッション(共感共苦)は可能か?」(2001)、「《反戦》、いまこそ」(2002)――この数年、私たちが積み重ねてきた対話集会のタイトルである。ここにすでに、私たちの時代認識と切迫した思いが読み取れるであろう。その思いの延長上に、季刊『前夜』を起ち上げようという今回の企図がある。現在、日本で起きていることは戦後民主主義を総否定しようとする歴史的大反動である。反動は、いまでは公然とイラクの戦場に自衛隊が送り出され、憲法9条の廃棄が主張される段階にいたっている。ここ数年来私たちが憂慮していたとおり、いや、それをも上回る速度で、戦争のできる国への変化は着々と進んでいる。戦後の日本で今日ほど、排他的ナショナリズム、近隣諸国への敵愾心、少数者への差別意識、無責任な自己中心主義が大手を振って跳梁している時期はない。 いまは夜である。夜が続いている。日本という一つの社会が、速やかに、滑らかに、転落を続けている。だが、この夜は漆黒の闇ではなく、むしろ不快な明るさを帯びている。壊れたテレビ画面のようだ。色彩ばかりケバケバしく、ピントが合っていないのだ。登場人物たちは非論理的な発言を平然と反復し、軽薄に笑い合っている。笑いながら、確実に転落している。その果てには破局が待っている。戦争前夜、破局前夜である。 しかも、日本が破局の奈落に落ちるのは、かつての戦争がそうであったように、自らに数倍、数十倍する犠牲を他者に強いたあとのことなのだ。日本人が殺されるのは、すでに何倍、何十倍もの他者を殺してしまったあとなのだ。 この夜を不安のうちに過ごしている人々、この転落に何とかして歯止めをかけたいと考えている人々は少なくない。しかし、その人々はそれぞれに分散、孤立しており、手がかり足がかりとなる拠点をもっていない。政党、労働組合、市民運動、学生運動、知識人、マスメディア……おそよ、あらゆる抵抗の拠点が崩壊ないし腐朽してしまった。とりわけ、冷笑と相対化の言説をもてあそぶことに終始し、危機にあたって自己の責務を自覚すらしない知識人とメディアの罪は言いようもなく大きい。 いま、この夜に、私たちは、たとえ非力でも、みずからひとつの抵抗点となろうと決意した。季刊『前夜』は、私たちと同じ思いを抱いてこの夜を生きている人々に、政治だけでなく、思想、文化の領域において、抵抗の足がかりを提供しようとする。 破局前夜が新生前夜となる、戦争前夜が解放前夜となる、その希(まれ)な望みを、私たちは棄てない。 (ソ・キョンシク) 1951年京都生まれ。作家。東京経済大学教員。在日朝鮮人の経験に根ざしつつ、東アジアに恒久的平和を実現する困難な可能性のために発言してきた。ディアスポラ/アート研究会主宰。著書に『私の西洋美術巡礼』(みすず書房)、『プリーモ・レーヴィへの旅』(朝日新聞社)、『青春の死神』(毎日新聞社)、『秤にかけてはならない――日朝問題を考える座標軸』(影書房)他 |